山谷・アート・プロジェクト
フォト・コンテスト2024
審査員の講評
審査員(50音順)

アオキ祐キ
講評
15番。KOJIさんの性格が写真から響きます。
雨に濡れた神社の道、人が写らないように撮るなど、個性を貫く拘りは大切ですね。
大賞を取りたい気持ちから、写真が日々を生きるエネルギーにも繋がっているのが届きました。
アオキ裕キ
<新人 H ソケリッサ!> ダンスグループ 。
振付家アオキ裕キが「生きることに日々向き合う身体」を求め
路上生活経験を持つ参加者を集めた活動。
2005 年よりメンバーを募り、第一回公演「新人H ソケリッサ!」を2007 年に行う。
現在2021-2022「路上の身体祭典 H!」新人Hソケリッサ!横浜/東京路上ダンスツアー開催中。コニカミノルタソーシャルデザインアワード2016、グランプリ受賞。活動を追ったドキュメンタリー映画「ダンシング・ホームレス」2020年より全国上映開始。
◆ソケリッサ!◆

赤坂真理
講評
山谷は台東区北東部の東浅草から荒川区にまたがる一帯で、古くは江戸の境であり、日光街道上の木賃宿が並んでいたという。なるほどそういう社会的・人的インフラがあって、焼け野原から高度経済成長期に労働力が流入した時、「日雇いの街」「ドヤ街」となったのだ。境の場所には、境界線上の人間が流れ寄せられ、また流れる。時間が経ってもそういう「社会的地形」の質は多かれ少なかれ残る。と思うとある時一気に再開発されて人々が排除され、なんの特徴もなくされてしまうこともありうる場所だ。かつての「境」は、街が大きくなってみれば「中心」に近くなるのだから。
写真たちには、そういういきさつで今では「中心街」のようになった場所の「境」の質が写されている。まるでエアポケットのようにのどかな空気が流れているように感じるのは、そのためだ。かつて山谷という言葉の持っていた過酷さ、貧困、寄る辺なく身を寄せあっていたことが、今では逆に、人情のあるあたたかな質に感じられてくる。そこには人と人のつきあいや助け合いが保たれ、小さな公園では祭りのような集まりが定期的に持たれる。そしてそこに惹かれる、外部の者たちを創り出す。
「運動には『よそ者』が必要」と言ったのは、水俣病の運動の中心人物だった杉本榮子だ。そういう、人と人との関わり、交わりこそが豊かな資源となる。写真たちにはその可能性が写されている。写真を見ると、東京スカイツリーをとらえたものが2点あり、山谷はスカイツリーに隣接した「谷」であり、そこで、忙しすぎる都市はほっと息をついているように見える。なんでも効率に変えられてしまう都市には、こういう空間が必要なのだと思う。そして宿泊所の内部の写真にも惹かれる。山谷とは、都市を建設中だった時代に、労働者が眠りに帰る場所、つまりは元祖「ベッドタウン」だったのだ。そしてそれは、昔も今も変わらずいる「境界線上の人たち」を守る場所なのではないかと思える。言うまでもなく、誰もが同じ「効率のよさ」のなかで生きられるわけなんかは、ないのだ。
赤坂真理
東京生まれ。作家。雑誌『SALE2(セールセカンド)』編集人を経て1995年「起爆者」でデビュー。小説作品に、寺島しのぶと大森南朋主演で映画化された『ヴァイブレータ』、『ミューズ』(野間文芸新人賞)、天皇の戦争責任をアメリカで問われる少女を通して戦後を描いた『東京プリズン』(毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部賞)。批評と物語の中間的作品に『愛と暴力の戦後とその後』、『愛と性と存在のはなし』、アディクションを依存症でなく「執着」「固着」ととらえ人類の苦しみと見た『安全に狂う方法 アディクションから掴みとったこと』(医学書院)など。文学の身体的表現にも情熱を持っている。

朝日教之
講評
DAIMONさんの写真。
看護師さんが洗濯を手伝ってくれるところを、シャッターチャンスととらえ撮影しました。訪問者に声をかけ、それぞれ記録されているとのこと。
信頼関係を築いているからこそ撮影できた作品です。
とても自然なポーズです。撮影者と看護師さんの会話が聞こえてきそうです。
朝日教之
フォトグラファー
1982年朝日新聞社入社。大阪本社写真部、阪神支局を経て、87年から東京本社写真部。神戸大学に同行しチベット奥地のルポや89年の天安門事件の取材などを経験。神戸の児童殺傷事件をきっかけに中学生の心の動きをルポする連載
「素顔の中学生 保健室から」を企画し98年、日本新聞協会賞を受賞。
アエラ・フォトディレクターを経て、現在全日写連関東本部委員。
