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迷惑ばかりかけちゃってると思う

山友会

すっかりコロナ禍が日常となってしまった日々の中でも、山友会に出会い続ける人たちがいる。


これまで何度かインタビューをさせて頂いてきたが、今回お話を聞かせて頂いた前川さん(仮名)は、今までで一番シャイな印象の方である。しかし、考えてみれば初対面のよくわからない人に自分の人生の一端を突然話すなんて、抵抗を感じることの方が自然なのではないだろうかと思う。今度こそあまりお話しを聞けないかもしれない…当初は、そんな気持ちで臨んだ前川さんとの時間ではあったが、結論から言えば、これまでで一番盛り上がる会になった。


※今回インタビューさせていただいた前川さん



前川さんと山友会の出会いは昨年の11月頃、ご自身が体調を崩されたときに友人にクリニックを教えてもらったのがきっかけのようである。山友会の第一印象をお聞きしたところ、


“悪くはなかった。居心地もよかった。”


と、控えめに答えて下さった。


これまで仕事のある場所に行き当たりばったり赴いては、日雇いで働いてこられたようで、ご自分のことを“風来坊”と自己紹介された。生まれは長崎、その後すぐに引っ越され、20歳までは八王子にいたようだ。でも、それ以上は語られなかった。



山友会のことを伺うと、相談室の園部さん、後藤さん、お兄さん(金内さん)と看護師さんは話しやすく、相談もしやすいとのことだった。しかし、二言目には“”とおっしゃるので、“そんなこと絶対に思ってないですよ”、とお伝えすると、笑いながら“どうかな〜”と返答して下さった。



代表のジャンさんの話にもなり、最近の体調をとても気にされている様子だった。身近な方の話しになると饒舌になり、自分のことよりも周りの方のことを気遣う前川さんのやさしさが垣間見えた。


山友会のスタッフの話で一通り盛り上がると、どこもすごく悪いわけじゃないのに、60代になってからは自分の身体じゃないみたいになってきたからと、毎日起きては浅草の方まで散歩して、散歩してはタバコをばかばか吸って帰ってきているという矛盾だらけの話しを茶目っ気たっぷりに語って下さった。


それから、ご自身の経歴を幼少期の思い出も含めながら、ゆっくりと語り始めて下さった。



20歳ぐらいの頃、仲間と一緒に育った八王子の町を一文無しで出て、最初は上野で日雇いの契約をしていたが、そのうち27、8歳の頃、さらに良い職場を求めて北九州の小倉まで行ったこと。そこでは1週間駅前で野宿をして、飲み屋街だから夜中は喧嘩ばかり、旗を振りながら改造車を乗り回す10代の暴走族も多かったけど、怖いなんてことはなく、それよりも何日も食べられなかったことの方がはるかに辛かったこと。その後は、姫路に誘われて一ヶ月働き、一番長くいた場所は名古屋で、15年ほどいたそうだ。




話しのキリがいいところで、


“マイナンバーカードを作るのは面倒くさいの?”


と、前川さんの方から質問された。


“今は持ってないけど、持ってると良さそうで。いま山友会に相談しているんだ”


とおっしゃり、わからないことを安心して聞ける場所があるのはいいですよね、と伝えると、


“そうだね、山友会は聞きやすい”、と返して下さった。


※やまともボランティアの金宣希さん


コロナが落ち着いたらやってみたいことをお聞きしたところ、


“京都の時代劇村みたいな場所に行きたい、時代をタイムスリップしたような!”


とのことである。この近所にも江戸博物館があることを伝えると、由紀さおりの両国橋の歌の話しになり、それからインタビューの前日に亡くなった大御所歌手の話、渡瀬恒彦はあまり好きではないけど石原裕次郎は好きだという話、コロナ禍の中、政府や都知事の対応に憤慨している話などで一緒に盛り上がった。わたしも政府には怒っているということをお伝えすると、


“もっと怒っちゃえ、怒っちゃえ!”


と、改めて怒ることの大切さを思い出させて頂いた。



最後に、“前川さん気が合いますね”とお伝えすると、


「ありがとう!!」


と、大きな声で明るく返して下さった。恥ずかしがり屋だと思っていた前川さんは、世間話好きの聞き上手なやさしい人だった。


インタビュー・記事作成

広報支援チームやまともボランティア

金 宣希


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