どうせ燃やすなら、誰かを嘲けて自己顕示する心ではなく、誰かの幸せを願う心を燃やせ
どうも。鬼滅の刃に夢中な娘の話についていけないのが悔しくて、コミック全巻セットを購入し一気読みした油井です。もちろん、12月4日に発売された最終巻も「全集中」で読みました(笑)
さて、国内で新型コロナウイルスの感染が拡大してから半年近く経とうとしています。
前回のコラムでお届けしたように、感染拡大の影響による活動を取り巻く状況の変化に対応するべく、山友会の活動現場は慌ただしい日々を過ごしています。
おかげさまで、食堂以外の活動は感染対策をとりながら段階的に再開できるようになってきました。
日々の慌ただしさのせいなのか、生来の筆不精のせいなのか、またしてもこのコラムを書くのが滞っていますが、半年ぶりの記事をお届けしたいと思います。
今回のコラムは、11月下旬にcakesというデジタルコンテンツの配信プラットフォームで配信されていたこちらの記事がネット上で炎上したという出来事について、考えたことをつらつらと書いてみます。
ちなみにこの記事、cakesのクリエイターズコンテストで優秀賞を受賞しています。
そのことで注目されたことも炎上に影響しているのかもしれませんが。
かなり掻い摘んで説明すると、
河川敷で暮らすホームレスの方々を3年間支援しながら取材してきた夫婦。ホームレスの人々の生活を知るにつれ、その異世界のような生活に驚き、魅力を感じる。また、自分の「当たり前」からホームレスの人々を外している偏見が自分たちにあったことに気づく。筆者は、違う生き方のホームレスの生活から気づけることがたくさんあると思っている。
という記事。
この記事に対して、SNS上などで炎上したわけです。
(そもそも、何をもって炎上とするのかって気になりますが)
ホームレス支援に携わる人たちからも、さまざまな指摘や批判がネット記事になっていたので少し整理しながら紹介してみようと思います。全部載せると大変な文量になるので、一部超訳してます。(意味が変わってたらごめんなさい…)
【書き手に対して】
・3年間にわたって関係を築いていることは評価できる。
・自分たちがもっていたようなホームレスに対する思い込みを取り除き、彼らの培ってきた力を伝えたいというのには悪気はない。
・ホームレスの人のことを見世物にしている。
・この記事をホームレスの人が見たらどう思うだろうか。
・なぜホームレス状態に陥ったのか、そこでどのような苦しさや困難さがあるのかという視点が欠けている。
・生き方として描くことは、あたかもホームレス状態を自己選択したように受け止められてしまうのでは。
・雇用問題や社会保障の問題などの社会問題が影響していることが考えられていない。
・同じ日本にホームレスの人がいるという問題を考えられていない。
【プラットフォームに対して】
・プラットフォーム側がホームレスという社会的な状態を前面に出して配信し、表彰したことが非難につながった。
【そのほか】
・記事を批判する人も含めて、ホームレス問題に自分の責任を感じられているか
自分が読んだのはざっとこんな感じです。どれも、なるほどなぁと思いながら読ませてもらっていました。
私もcakesの記事を見て、違和感を感じながらも、それが何なのかうまく言葉にできず、しばらくモヤモヤとした期間を過ごしていました。
きっとホームレス状態にある方たちの生きる力や知恵などに感動している内容に純粋さを感じた一方で、「ホームレス」の人々に特殊な文化があるような視点であったり、ホームレスという生き方を(積極的に)選んだ人という前提に抵抗感があったのだと思います。
とはいえ、自分が活動に参加しはじめたばかりの頃のことを振り返ってみると、生きる力や知恵に純粋に感動していた記憶もあったり、記事に書かれていた内容には見学にいらした方や初めてボランティアに参加した方の感想の中でよく聞くような話もあったりで、一概に否定できないような気がしたことが、気持ちや考えの整理をしづらくさせていたのかな、と思っています。
さて、これらの意見は、書き手側に対してのものとプラットフォーム側に対してのものが多かったのですが、読み手側のことも考えてみたいと思います。
インターネットは自由な空間です。また、今となっては、社会的なインフラでもあります。この素晴らしい技術によって、私たちは世界中の人たちとつながることができ、距離や時間にとらわれずに、さまざまな情報や意見を知ることができるようになりました。
一方で、私たちはこのインターネットという便利な技術を正しく理解しているか、そして付き合い方をわかっているかということも考えておかなければいけません。
インターネットは自由な空間であるからこそ、さまざまな意見が飛び交います。
そこには、たくさんの人たちに希望や勇気を与えるようなものもあれば、残念ながら、発信者が意図しているかどうかにかかわらず、誰かを傷つけてしまうようなものあります。
もちろん、中傷や差別的な意見をインターネット上で出してしまう人がいなければ、それに越したことはないのでしょうが、現実世界でそれができていないことを考えれば、それをインターネットの世界でユーザーに求めることはかなり難しいことでしょう。
例えば、さまざまな記事をキュレーションするプラットフォーム側のポリシーによって、制度的に制御することはできるのかもしれませんが、インターネット上を飛び交う情報のすべてがプラットフォームを経由するわけではないため、それも完全なものではないでしょう。
発信を制限するのが難しいとなると、情報の受け手側での対処を考えることも大切だと思います。
今回の記事に引き寄せると、例えば、ホームレス問題に関心のなかった何も知らない人が見れば、ホームレス状態にある方を「特殊な生き方を選択している人」として捉えてしまうかもしれません。
しかし、そこで、それだけを鵜呑みにせずに、違う視点ではどうなのだろうかという考え方があれば、社会的な構造の問題があることなどを知ることができます。
そして、さまざまな視点や価値観の情報の中から、情報の受け手で認識や考えをまとめていくことができればいいのかなと思います。
つまり、読み手側、情報の受け取り手側の情報リテラシーも求められてくるということです。
何はともあれ、好奇の対象として誰かの暮らしや人生の情報を消費してしまうのは、誰かの好奇心を一時的に満たしたとしても、誰も幸せにはしないのではないかと常々思っています。
誰かの人生や暮らし、プライバシーを取り上げるとき、取材対象となる相手はどう思うか、それを多くの人たちが知ることになる覚悟をできているかどうか、世の中で起きている問題について知ってもらいたい/理解してもらいたいという思いを共有できるかどうかなど考えながら、情報の受け取り手の中に不快な思いをする人がいたとしても、せめて誰かを傷つけてしまうことがないような発信を自分たちはしたいなと、今回の炎上記事とその反応を見ていて、気が引き締まる思いになりました。
どうせ炎上するなら、誰かを嘲ることで自己顕示するような心ではなく、誰かの幸せを願う心が燃えるような記事がいいですよね。
(副代表 油井)
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