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充実した日々

木曜日の山友会は、なんだか慌ただしい。


平日の診療・相談・食堂の運営に加え、河川敷で食事を配る炊き出しと、

テントで生活をされている方々を訪問するアウトリーチがあるためだろう。


炊き出しとアウトリーチに出かけるまでのわずかな時間、

中心メンバーの一人として忙しそうに働いていた田村さん(仮名)がインタビューに応じてくれた。


片付けや準備等でバタバタとする雰囲気の中、


「水曜日と木曜日の活動メンバーが違うんだよね」

「その日来てるクリニックの先生や看護師さんが参加したりね」

など、山友会について穏やかな口調で教えて下さった。


田村さんが山友会を初めて訪ねたのは去年2月のことである。


無料で診察してくれるクリニックがあるということで、文字が書けなくなるほどまでに手のケガが悪化していた田村さんは、千葉にある前職場の社長と一緒に山谷の地に足を踏み入れた。


初めて訪ねられた時の印象を聞いてみたところ、当時は診療後すぐに浦安にある職場に戻ったため、あまり記憶がないとのことだった。



仲間と談笑するひととき。

「浦安の前は四街道で土木の仕事をしてたんだけどね、みんな保険証を持っていなかった。保険証がないと病院に行っても高くつくからね。」

そう語ってくれた。


その後も月に1、2回は薬をもらうために千葉から山友会のクリニックまで通い、

去年の4月末に田村さんは仕事を辞めることになった。


「色々なことがあったけど、歳も歳だし。去年あたりからケガの状態も悪くなって、辞めても同じ土木関係の仕事しかできないし、普通の会社では働けないから。土木関係のビルの仕事は外で立ってる仕事だから倒れていく人も何人も見てきて、ちょうどやめどきかな、って。会社で働いてても迷惑かけちゃうし、4月いっぱいで辞めることにしたんだよ。」

最後の言葉から、田村さんの仕事に対する想いが垣間見えた。


田村さんの出身は新潟。

中学を卒業してすぐに15歳から地元の会社で働き始めた。

働きながら夜間高校に通う予定だったが、同じ頃に父親が他界。

他の兄弟たちがまだ学校に通っていたため学校に行くことはあきらめ、15歳から20歳までの5年間は新潟で働いていた。


新潟を出てからは、板橋、葛飾、埼玉。

最後は千葉で、ガードマンや土工関係等、様々な仕事をして生活をしてきた。


「仕事を辞めてから、これからのことを相談するために山友会に来たんだ。区役所で生活保護の申請手続き、病院の付き添い、あと、前は会社の寮に住んでたから寝床も紹介してもらったよ。」

山友会との関わりが始まり、それからはできる範囲でボランティアを始めた。

後遺症の関係で包丁を握るのは難しかったので、それ以外の作業を手伝った。


それから約1年。


毎日のボランティア活動にとどまらず、田村さんは今年の4月から山友荘での配膳のアルバイトも始めた。

包丁の作業がいらないことから始めることになったという。


仕事のない日の朝にはジャンさんの自宅に立ち寄り、ゴミ出し等の手伝いをしてから山友会に向う。


朝はやく来て、炊き出しの準備をする。

「気さくっていうかなんていうかな、ジャンさんは冗談ばっか言ってるけど、みんなにやさしい。誰にでも分け隔てなく、平等に接してるのが分かる。山友会の人たちともバカやって、冗談言いあって、仲良くやってて楽しいよ。悪い人があんまりいないね、ここは。」

月に1、2回は、休みの日に仲の良い数人でジャンさん宅に昼から集まり、麻雀をして夕方には帰宅するという健康的(?)な遊びを楽しんでおられるようだ。

次はこの日になりそうなんだ、と嬉しそうに教えてくれた。


インタビュー中、田村さんは何度も“充実”という言葉を口にされていた。


最後に一言メッセージをお願いしたところ、最初は笑いながら


「メッセージ?ないよ!」

と、良いリアクションを下さったが、たくさんの方々が読まれると思うので、と執拗に迫ると力強い言葉を返して下さった。




「充実してる1日を過ごさせてもらってる。それぐらいだ。」

いま、田村さんは山友会で“充実”した日々を生きている。




インタビュー・記事作成

広報支援チームやまとも ボランティア 金 宣希

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